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諏訪大社上社前宮

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豊かなご神水を湛え諏訪信仰発祥の地といわれる 上社前宮

前宮は本宮から約2km東方で、中央線茅野駅から約4km、
旧鎌倉街道に沿った県道岡谷茅野線の途中にあります。

前宮御本殿は内御玉殿から200m程上段で、古くは神殿に付属したお社でした。
高台で豊富な水や日照りが得られる良き地で、一説には御祭神が最初に居を構えられた諏訪信仰発祥の地とも伝えられています。
現在の本殿は、昭和6年の神宮式年造営替古材の下附を受けて昭和7年に建てられたものです。

諏訪大社 上社前宮
授与所 9時00分〜16時30分
所在地 長野県茅野市宮川2030
電話番号 0266-72-1606
諏訪大社 上社前宮
の見どころ
神原
県道から入って一段と高くなった処の広場一帯を言い、上社にとっては最も由緒の深い場所です。社伝によれば、諏訪大神が初めて御出現になられたのがこの地だと伝えられています。この神原一帯は上社の祭祀の中心地であり、御祭神の後裔で諏訪大神の神格を持った生き神、大祝(おおほうり・最高統轄者)の居館である神殿と、それに付属する数多くの重要な建物が軒を連ねていましたが、室町時代の中葉に大祝が居館を他に移したので、多くの神殿は消滅し、現在祭儀だけが残っています。
鶏冠社
内御玉殿の西方百メートル程の畑中にあり、現在のお社は小さなものですが、昔はここで極めて神秘的な重要な儀式がおこなれました。諏訪大神の神裔である諏訪氏が、大祝の職に就く時、この社の前で神長官から梶の葉のついた紫の袴と山鳩色の狩衣を着せられて即位の式を挙げたところで、かえでの宮とも言います。
前宮本殿
内御玉殿から約二百メートル登った所にあり、諏訪大神が最初に居を構えた地と言われ、高台で、豊富な水と日照が得られる良き地あり諏訪信仰発祥の地であります。現在の御殿は昭和七年に伊勢の神宮の古材を以って建てられたものです。
若御子社
諏訪明神とあがめられている建御名方命(たけみなかたのみこと)の御子達を合祀しているといわれる。諏訪大社関係には、極めて優れた古記録、文章が多いが、その中でも名高い文章に「諏訪大明神絵詞」がある。室町時代にあらわされたこの文章の中に正月1日、大祝以下の神官氏人はみな衣服をただしてまずこの若宮すなわち若御子社を荒玉社とともに参詣したとある。現在は諏訪神社の末社となっている。
政所社(まんどころしゃ)
古書には「所末戸社(ところまつどしゃ)と所政社(ところまっしゃ)とも書かれており非常に盛大な祭が春秋の二季に行われたといわれているが江戸時代に至って全くすたれてしまった。かつては旧暦3月末日に稲の穂を積み、その上に鹿皮を敷いて大祝の座とし假屋をかまえて神事を行っており大祝が定まって参詣する社13ヶ所のうち第一とされてあるからこの社の重んぜられたことがわかる。古くは上伊那の藤沢郷によって社殿が造営されていた。
子安社
御祭神 高志沼河姫命(こしぬなかはひめのみこと)
例祭日 12月22日
諏訪大神の御母神高志沼河姫命をお祀りしている。古来縁結び・安産・子育ての守護神として諏訪大神を補佐されお子安様とも称され親しまれている。底の抜けた柄杓は安産の祈願に奉納されたもので水がつかえずに軽々抜けるよう楽なお産ができるようにとの願いが託されている。
溝上社
祭神は高志奴奈河比賣命(こしぬなかわひめのみこと)といわれ御射山へ出発する際にまず参詣された社であった。水眼の清流をたたえた「みそぎの池」の中にあり。西の方に「神の足跡石」があった。この社は武田支配時代には山浦の南大塩郷によって造営奉仕がされていた。
荒玉社
「新御魂社(あらみたましゃ)とも書き、原始農耕の神事として田の神を降し、稲の御霊をまつる社で上社の重要な摂社である。古書によれば正月元日にはまず大祝以下の神官氏人が参詣し、旧暦2月晦日の春祭の最初にあたり神使(こうのと)が出仕して「野出(のいで)の神事」が行われたとあり、現在も続いているが簡単な神事だけになっている。なおこの社の造営は、古来より山浦の中村郷の役であった。
御室社
中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに、「穴巣始(あなすはじめ)といって、冬ごもりをした遺跡地である。旧暦12月22日に「御室入り」をして、翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘的な祭祀が続行されたという。諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、中世以降は惜しくも廃絶した。
柏手社
古い時代は食物を盛るのに柏の葉を用いたり、また柏の葉を折って飲食器にも用いた。ここ柏手社は、前宮の神前に供えるものや饗宴の膳部を調理したところと思われる。建武2年(1335年)や応永4年(1397年)の「大祝職位書留」には、諏訪明神の現人神となる大祝の即位式において、神秘的な秘法の儀式が終わると、本宮へ参詣する前に、この社で神事を行ったとある。水眼の清流にそい、十間廊からの通路にあたっていた。
十間廊
鳥居の左側の大きな建物で、間口三間、奥行が十間あるところから名称がついていますが、昔は神原廊とも言い、神社でも最大の神事である三月酉の日の神事御頭祭(大立増神事、酉の祭り)がここで行われました。当日は大祝以下の全身色が総出で奉仕し、鹿の頭七十五頭をはじめ、鳥獣魚類等独特のお供え物をし、大祝のお使い(神使)神霊を奉じて、信濃国中に出発する為の大祭でした。この時の七十五頭の鹿頭の中に毎年必ず耳の裂けたものがあり高野の耳裂鹿と言い諏訪七不思議の一つに挙げられています。
 この御頭祭、明治以降は四月十五日に行われ、本宮で例大祭を済ませてから行列を整えてお神輿を渡御し、十間廊上段の間に安置して神事をおこなっております。
 昭和三十三年に不慮の災火にあい、ただちに再建に入り、三十四年四月に竣工しました。
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