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諏訪大社の歴史と神話

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国ゆずりから始まった諏訪の国

信濃國一之宮。神階は正一位。全国各地にある諏訪大神を祀る神社の総本社であり、最も古い神社の一つです。諏訪大社の歴史は大変古く、古事記国譲りに反対した建御名方神が出雲から諏訪へ移ったとされ、新たに信濃国を築き治められた神さまです。

御鎮座及び御神徳

御鎮座の年代について、詳しく知ることはできませんが、「古事記」そのほかの書物から推定して少なくとも1500年から2000年前と言われており、我が国で最古の神社の一つに数えられています。北は北海道から南は鹿児島に至るまで、全国各地の御分社は1万有余。その総本社が諏訪大社です。
古くから諏訪大神、お諏訪さまと親しまれ、雨や風、水の守り神として龍神の信仰としても広く崇敬を集めております。

朝廷の御崇敬と武門武将の守護神

古来より朝廷よりの御崇敬が極めて厚く、持統天皇5年(691年)には勅使をつかわされて、国家の安泰と五穀豊穣を祈願なされたのをはじめ、歴代朝廷の御崇敬を拝戴しております。
また、諏訪大神は武勇の神、勝負の神として崇められ、古くは神功皇后の三韓出兵の折に諏訪大神の神助ありと伝え、平安初期には桓武天皇の勅命を受けた征夷大将軍 坂上田村麻呂が戦勝の祈願をなされました。

歴代将軍による武運長久と国家安泰の祈願

鎌倉時代には源頼朝が源氏再興の守護神として厚く崇敬して社領を寄進し、また大社の重要な祭典である御射山御狩神事(現・御射山社祭)には年々諸国の武将を率いて参列し、霧ヶ峰高原一帯に於いて武芸を競わせました。
中でも隣国甲斐(山梨県)の武将武田信玄は、お諏訪さまを武家の守り神と崇め、社殿の造営や社領等を寄進し、廃絶していた祭祀をも復興させるなど信仰の篤さがうかがえます。各地への戦いにはその都度参詣して武運長久の祈願を込め、諏方南宮法性大明神の旗印を先頭に出陣しておりますし、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝で有名な諏訪法性の兜を奉納しております。

信仰の篤い江戸幕府・徳川家

初代家康は天正10年(1582年)に兵変により消失した上社本宮の神門を、慶長13年(1608年)に家臣の大久保石見守長安命じて造営寄進し、国家の安泰を祈願しました。現在は四脚門として重要文化財の指定を受けております。三代家光以下歴代の将軍は上社に1000石、下社に500石、都合1500石の社領を寄進し、崇敬の誠をささげています。

諏訪大社の七不思議

古くから格別に篤い信仰を捧げてきた諏訪の人々はお諏訪さまのご神威を仰ぎ、
七不思議を今に伝えています。
氷湖の神幸(おみわたり)
厳寒、諏訪湖面に大きな亀裂が生じ現れる御神渡(おみわたり)は、上社の男神が下社の女神のもとに通われた道筋だと伝えられます。また道筋の方角や形からその年の吉凶が占われており七不思議の一つとされています。
元朝の蛙狩り
元旦に行われる「蛙狩神事」に、蛙を2匹御手洗川の神橋の上の一番高い所で氷を砕いて川底を掘りお供えしますが、どんなに寒い年でも蛙が見つかるため、諏訪の七不思議の一つとされています。
五穀の筒粥
1月14日の夜から15日の朝にかけて、大釜の中に米と小豆、葦の筒を入れて一晩中炊き続け、筒の中に入った粥の状態で、その年の農作物の豊凶を占います。その占の正確なこと、神占正に誤りなしと七不思議の一つとされています。
高野の耳裂鹿
上社でも最大の神事である「御頭祭(おんとうさい)」で供えられる鳥獣魚類のうち、毎年供えられる七十五頭の鹿頭の中に毎年必ず耳の裂けたものがあり、高野の耳裂鹿として諏訪七不思議の一つに挙げられています。
葛井の清池
茅野市上原に鎮座する旧摂社 葛井神社御本殿下の神池に、12月31日夜、御幣納神事(みてぐらおさめのしんじ)を行い、本宮幣殿にお祀りしてあった御幣束を沈めると、翌元日には遠州さなぎの池に浮かび上がると言われます。また、この池には片目の魚がいると伝えられていることから七不思議の一つとされています。
宝殿の天滴
七年に一度、御柱祭に交互に建替えが行われる東西宝殿の屋根からは、どんなに干天の時でも三滴は水滴が落ちると言われ、七不思議の一つとされています。宝殿の天滴として諏訪大神が水の守護神として広く崇敬される根元にもなっています。
御作田の早稲
御作田社の境内にある小さな神事田で、6月30日の田植神事で植えられた苗は1ヶ月後の8月1日には神前に供することができることから、御作田の早稲と呼ばれ七不思議の一つとされています。